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気管にできた腺様嚢胞癌と闘う母の記録


母の気管に腺様嚢胞癌が見つかったのが今年の1月。
緊急入院してから約9ヶ月の闘病生活でした。

母がこの病気になったことで、私は初めて『腺様嚢胞癌』という病名を知りました。
インターネットで調べれば調べるほど希少癌であることが分かり、同じ病気の方のブログなども本当に少なく、同じ気管原発だとしても、癌のある場所や進行具合、医師の判断などによっても治療法は様々でした。
(私が今までインターネットで見つけた気管原発の腺様嚢胞癌の方は母を含めて5名です)


母の場合は、『硬性気管支鏡』で気管内の癌を削り取る手術をし、取りきれなかった部分に放射線治療をしました。
癌の治療に関していえば、声帯ごと切除せずに声を残せたし、いい方向に向かっていると思えていました。

ただ、気管内の癌を削り取ったあと、しばらくして人工呼吸器を抜いた時に、自立すると思っていた気管が自立せず、自立させるための最善策として気管にステントを留置しました。

ステントを入れたことでようやく人工呼吸器を抜くことができ、気管が自立し、自分で呼吸ができるようになり、声もかすれてはいたけど出すことができて、本当によかった!と思っていました。

けれども、その後そのステントがあることで、誤嚥性肺炎を繰り返すようになり、痰を吸引してあげたくても管を入れて吸引することができなくなり、呼吸を確保したくても気管切開することができなくなり、管を入れると二度と抜けなくなるとのことで一時的に人工呼吸器を挿管することもできなくなってしまいました。
ステントがあることでの違和感も相当だったと思います。

それが、『慢性呼吸不全』ということに繋がっていったのだと思います。

この選択がよかったのか、悪かったのかは、分かりません。
でもあの時点ではステントを入れることが母が生きるための最善策だったのだと思います。
本当に珍しくて症例がない癌なので、先生方もその時その時で最善と思われる処置をしていただきました。
私たち家族も、その時々で話し合い、自分たちで選択してきました。

なので悔いはありませんが、母の苦しさを間近で見て分かっているつもりでも、実際には分かってあげることができなかったのは悔いが残ります。
どれほどの苦しさだったのかは、想像するしかできないですからね。


前述しましたが、母の死因は、腺様嚢胞癌でも誤嚥性肺炎でもなく、『慢性呼吸不全』でした。
もちろん、気管に腺様嚢胞癌ができなければ慢性呼吸不全になることもなかったのですが、
でも、急変する前日におこなったCT検査では、癌があった部分に変化も見られず癌に関しては経過良好な感じでした。

なので、今 同じように腺様嚢胞癌と闘っている方や、今後 腺様嚢胞癌と診断されてこのブログにたどり着いた方には、決して母の死に悲観せずに闘って欲しいです。
母の分まで頑張って生きて欲しいです!



長くなりましたが、
この9ヶ月間、癌と宣告された日も、辛い治療が続いた時も、呼吸が苦しく眠れなかった時も、母は涙を見せることなく、家族にあたったり愚痴を言うこともなく、それまでと変わらず穏やかに淡々と病気と闘いました。
病気をする前の母には『強い人』という印象を持ったことはありませんでしたが、病気と闘っている姿を近くで見ていて、すごく強い人だったんだなぁと感じました。


このブログが、今後同じ病気で闘う方に、何かの形で少しでも役立てるなら、母もきっと喜んでいると思います。


今まで応援いただき、励ましていただき、
本当にありがとうございました(^^)

# by necorin29 | 2018-10-25 11:05

急変してからのこと ②


ひとつ前のブログからの続きです。

******

2018.9.30(日)

急変から一夜明け、マスク型の人工呼吸器で管理され意識はないままだけれど、母の容態は一応安定していた。

この日は日曜日だけど、たまたま母の主治医が当直の日で、いつも週末は学会などで忙しくされてて不在なことが多いのに、これも何かの縁なのかなぁと思ってしまった。

主治医のお話によると、吸ったり吐いたりという、私たちが普段当たり前にしている『呼吸』にもとても体力を使うそうで、胸や肺の筋肉も必要なのだそう。
吸う力はあっても吐く力が弱いと、体の中に二酸化炭素がどんどんたまってきて、ある一定の濃度を超えた時に意識を失うことがあるらしい。
母の場合はずーっと息苦しい中、生きるために一生懸命に呼吸をしていたけれど、『お母さんの体力の限界』が近づいているのだろう とのことだった。


痛みならば痛み止めで何とか緩和することができる。
けれど、呼吸はいくら苦しくても辛くても、それを受け入れて自分で何とかしなければならない。
母は本当に限界まで頑張っていたんだと思う。


少しずつ少しずつ、モニターに表示される心拍数や血中酸素、血圧などの数値が下がっていき、

そして、


2018.10.1(月)18:11
父と私と私の夫が見守る中
母は静かに息を引き取りました。
本当に静かに。
死因は『慢性呼吸不全』でした。

急変してからの3日間は、苦しむこともなく本当にすやすやと眠っているようで。
ずっと息苦しさで熟睡できなかったから、その分の睡眠を取り戻してるかのようでした。
苦しむ姿を見ることもなく、それは本当に良かったと思う。


日曜日の朝に一度だけパッチリと目を開けた時があって。
5分くらいだったけど、ちゃんと目を動かして私のことも見て認識していたし、
私が『ずっとそばにいるからね!大丈夫だからね!』って言ったら、口を動かして何か言おうとしてた。
マスク越しで何を言ってるかは分かってあげられなかったけど、きっとあの時は意識があったんだと思う。
そのあとはまたすぐに眠ってしまったけれど、母は寂しがりやだから、1人じゃないって分かって安心してくれてたのならいいんだけどな。


本当にお疲れさま。
もう頑張らなくていいからね。
ゆっくり休んでね。

71歳。
まだまだこれから一緒にいろんなこと楽しみたかったなぁ。


# by necorin29 | 2018-10-24 23:20

急変してからのこと ①


母が亡くなりもうすぐひと月。
日に日に寂しさがつのる今日この頃です。
急変してからのことをなかなか書けずにいましたが、
最後の最後まで頑張った母のことを、ちゃんとここに書き記しておいてあげたいので、
思い出しながら書いていきたいと思います。

************

2018.9.29(土)

この日は私は以前から出掛ける予定が入っていたので朝から夫婦で外出。
父が午後から面会に行く予定にしていて、お昼を食べてさぁ面会に行こうかなと思っていたところに病院から母急変の連絡が入ったそう。
少し遅れて私にも連絡が入り、出先から急いで病院へ駆けつけた。
前日の面会では急変する様子なんてまったくなかったから、連絡が来て急変って言われても訳が分からなくて、本当に頭の中が真っ白になった。

病室に着くと、真っ平らなベッドの上に母が仰向けの状態で寝ていた。意識もない。
呼吸が苦しくなり始めてからのこの1年、仰向けで寝ることができなくて常に背中を起こした状態で寝ていたのに、仰向けで横になれている時点で『これは普通じゃない』って思った。

看護師さんの話によると、朝食の時に少し飲み込みづらいと言っていたようで、昼食はほんの少し食べたくらい。
その直後くらいに急変し、意識がなくなってしまったそう。

土曜日だったので、病室には主治医ではなく当直の医師がいて、手動式の酸素マスクで母の呼吸に合わせて酸素を送ってくれていて、
それを続けながら説明をしていただき、延命について家族に判断を委ねられた。
(もう治療してどうこうという感じではないのが伝わった)


◉人工呼吸器(挿管型)
   気管内に挿管チューブを入れて機械から直接酸素を送る
◉人工呼吸器(マスク型)
   鼻から口をがっちりカバーするマスクをし、呼吸に合わせて機械から酸素を送る
◉簡易酸素マスク
   自発呼吸に酸素を補給してあげるくらい


以前のブログにも書いていたけれど、今までも3〜4回 死を意識せざるを得ない状況になっていたので、そのたびに医師からも延命について聞かれていて家族でも話していた。
母とも話すことができていて、
『人工呼吸器の挿管チューブは入れないで欲しい』と言われていた。
『家族にも迷惑がかかるし、そこまでして生きていたくない』と。
母の場合は、気管にステントが入っているので、挿管したら二度と抜くことができない、と医師からも説明を受けていた。
母の意思を事前に聞けていたので、挿管タイプの人工呼吸器をしないことは即決できた。
(これは事前に母と話せておけてよかったです。母がどうしたいかを聞けていなかったら、父も私もなかなか判断ができなかったと思います)


あとは、マスク型の人工呼吸器にするか、簡易酸素マスクにするか。
以前検査中に呼吸困難になったとき、マスク型の人工呼吸器を装着したことがあったけど、これも自発呼吸とのリズムが合わないとすごく苦しそうで、母はすごく嫌がっていた。
それを知っていたので、最初は簡易酸素マスクでお願いすることにしたのだけど、酸素マスクは自発呼吸に補助する程度に酸素を補給するくらいなので、どんどんモニターの数値が落ちていく。
どうしてもそれを見ていられなくて、最終的にはマスク型の人工呼吸器に切り替えてもらった。

意識がないこともあり、マスクを装着して機械から酸素を送っても苦しがる様子がなくてホッとしたような、嫌がる反応がないことで意識がないことを再確認させられたような。

マスク型の人工呼吸器は、母の自発呼吸に合わせて強力な酸素を送ってくれるので、母の呼吸する力がなくなってしまったら、それが最期ということになる。

母の生きる力があとどれくらいなのかは分からないけれど、最期まで見届けてあげたいと思った。
その日から私は病室に泊まって母と一緒に過ごすことにした。

つづく。
   






# by necorin29 | 2018-10-24 22:20

ご報告。


久しぶりの更新となりました。

このブログを読んでいただいていた方には大変残念なご報告になりますが、
9月29日土曜日のお昼頃、母の容態が急変し、
10月1日月曜日 午後6時11分に息を引き取りました。

本日10月9日、無事に葬儀を終えましたので、こちらでご報告させていただきます。
葬儀は、本当に身近な方たちだけとのお別れ会という形で音楽葬で執り行いました。
母もきっと喜んでくれていたと思います。


前回のブログでも書いていたとおり、あと1週間で退院予定だったので、急変する前日も普通に会話していつも通り『またね〜、バイバーイ』って手を振って別れたし、まさか翌日に急変するなんて思ってもいなくて。。。
連絡がきた時には本当に驚きました。

急変してからの3日間は、病室に泊まり込んで最期まで一緒にいることができたので、母もきっと寂しくなかったと思います!



亡くなってから1週間が経ち葬儀も終えましたが、祭壇の母の写真や骨壷を眺めていても、なんだかまだ現実じゃないような変な感じです。

もう少し気持ちが落ち着いたら、急変してから亡くなるまでのことを最後の記録としてこのブログに残そうと思います。


皆さん、今まで応援していただきありがとうございました!
母は最期までとっても頑張って、一生懸命生き抜きました!

# by necorin29 | 2018-10-09 20:30

久々のCT検査。


2018.9.28(金)【再入院⑤ 7日目】

この1週間は、晴れたり雨だったり気温の変化が大きかったり台風が接近していたり、
そんな影響もあるのか、母に言わせると『体調はイマイチ』らしい。

痰は相変わらず良く出て常に喉がゴロゴロ言ってるけれど、肺炎による胸の苦しさや気だるさは抗生剤の点滴が効いておさまってきている。
熱も平熱。


今日は午前中に、血液検査・レントゲン、そして久しぶりに造影剤を使ってのCT検査。
CTの検査では、手術で削り取った気管内のガンの部分の経過が詳しく分かるので、結果が出るまでドキドキ。
ドキドキしてるのは私と父だけで、母は特に気にもしていない様子だから、さすがというか何というか。
でもそんなことより呼吸が苦しい方をどうにかしてほしいのかも。


午後から病室に主治医が来られた。
CT検査の結果は、『ガンの部分は前回のCTと特に変化はなし!大丈夫!』
ってことでホッッ!!
とりあえずよかった!

肺炎は、レントゲンの結果 まだうっすら炎症が映ってるから、引き続き抗生剤の点滴での治療をしながらあと1週間くらい様子を見て、それから退院、という予定になった。


気管内を塞いでいたガンを1月に手術で削り、残った部分を放射線治療で小さくし、治療後からの半年で大きくなったりの変化がなかったことは本当に嬉しい。

けど、その治療で気管にステントを留置したことによって、誤嚥性肺炎を何度も繰り返していたり、痰や息苦しさに常に苦しめられている。
どうにかできないものなんだろうか。。。


気管内という珍しいところにできた腺様嚢胞癌という珍しいガンで、がんセンターの先生方も手探り状態で、『やってみないと分からない』という中、本当にひとつひとつ乗り越えてきたけれど、今後この痰や息苦しさや誤嚥性肺炎再発の不安とずっと付き合っていかないといけないのは、母の体力的にも気持ち的にも本当にキツイと思う。

それでも、泣き言やグチを言わず 家族にあたることもなく、淡々と病気と向き合っている母は強いなぁと思う。


病院の前に咲いていたコスモス。
久々のCT検査。_e0397323_23294041.jpeg
病院通いで季節を感じます(^-^)

# by necorin29 | 2018-09-28 23:20